cotomotoca 繊細な森の中へ

日々、ものを作り感覚に触れる『うつくしさ』に思うことを綴っています。

器がちゃんと伝えてくれている

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「水の小鉢は本当に水をすくったよう・・・」

 

Creemaで私の作品をお買い上げくださった方が、
そう言ってくださいました。


実物を手に取って、感覚を確かめることができないのにも関わらず、
「とても心惹かれる器で、是非と思い注文させていただきました。」と
言っていただけるのは、

 

その方の心の情景とつながった感じがして、とても嬉しいのです。

 

 

器たちはちゃんと伝えてくれているのだと・・・

 

 


そして、作品は私の手元から離れて、

そこに新しい物語、新しい情景が生まれることが本当に嬉しいのです。

 

 


ただ単に、モノを売る、買うというだけではなく、
使い手としてもスタンス、感性を表現し、

モノを通じて交流ができるCreema は、

作り手と使い手を繋ぐ場として今までにない新しいマーケットです。
それは、私が望んでいた、作品を通してのコミュニケーションの形。

 

そう、使い勝手やデザインという枠にとらわれない、
造形としての器の在り方・・・

その私のスタンスをくみ取り、共感し、共鳴し、

倍音となって広がっていくことが嬉しいのです。

 

 

器が伝えている情景・・・

まるで、映像のワンシーンのように、
その情景を表現してくださいました。
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器を両手に持ったときに本当に水を掬った一瞬を閉じ込めた器の様に

フィットして感激しました。


とても美しいです。

 

作り込み過ぎない自然感が本当に好きです。

 

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最後の言葉に、

私の作品の本質を見てくださってるのだなぁと
救われた気持ちになりました。

心が喜んで、染み渡っていきます。

 

 

 



 

子供の頃の宝物のように

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好きなものを集めるように作品を創っているのです。

 

子供の頃のように、木の実、小石、葉っぱ、

コンクリートの欠片でさえも美しく見えたのを思い出すために。

 

 

今日、ここ館山でも外は桜吹雪のように雪が舞っています。
アトリエでは素焼きを焚きながらまったりとした時間。

昨日買ったアオモジをコンクリートの柱のような花器に生けました。

 

そのピスタチオ色のチェコビーズのような美しいアオモジのつぼみ、

生きたものが入ることですべてのものが輝きだすのが
たまらなく好きな瞬間です。

 

器としての美しさは取り巻く空気そのものまでも

活き活きとさせるということに、

いつまでも酔い続けていられるのだと思うのです。

 

 

 

 

何を体験したくてそれをするのか

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『好きなこと』、興味があったり、

なんかハマってたりってすることの共通項を探してみると 

自分がどんなことを体験したいのかってことが見えてくるんだね。

 

私はね、無意識の状態で何がなされるのかを知りたいんだ。
その瞬間にしか起こらないことに飛び込んでみたくなる。

 

だから意識した途端、全然出来なくなることをよく体感したりもする。

 

そして、自分は『片輪』だということも思い知らされる。

 

これがすごく大切な経験で、

彼の名前に太陽があって、彼女の名前に月があるように、
そうした成り立ちを流転の中にささやかに見つける作業なのだと思います。

 

そして、無意識の中でピシーッと繋がった時の快感を
再び味わいたいという欲求なのだと思うのです。